*2020年リリース
*キャンバス・ジクレー
*イメージサイズ :24.2×80.3(cm)
*額付サイズ(笹倉鉄平推奨額):42.0×98.5(cm)
*額装 :ブラウン木皮風の内側玉模様付きサオ、薄いブルーグレー落とし込み
*額裏サイン(ご希望のお客様にはサービスで、額裏へ作家から、お客様のお名前とサイン入れが出来ます)
*作品証明書 :版元発行、正規の作品証明書が付きます
*作品モチーフ:銀座(1880年頃)
*【新品額装】新しく額装してお届けいたします
*【送料無料】国内の送料は無料です(一部離島を除く)
*作品コメント
『銀座四丁目交差点、1880年頃』
“Ginza's Bricktown, 1880”
"銀ぶら"という言葉が生まれたのは、大正初期のことだそうで・・・
大正浪漫の頃の銀座の姿に、思いを馳せることがある。
明治・大正期に描かれた、銀座の"煉瓦街"の浮世絵を見た時から、
建築様式にとらわれない、なんとも不思議な魅力ある街並みに
見てみたい、知りたいという興味と共に、ずっと惹き付けられてきた。
* * *
明治五年(1872)、銀座の街は大火災で焼失。
その後、"不燃の"街並みにすべく、英国人建築家の設計で、
道路・ガス灯・街路樹などと共に整備され、
煉瓦と漆喰建材を中心に再建されたのが、銀座"煉瓦街"。
文明開化の波と共にもたらされた、西欧風の商売や外国からの品々・・・
人々は物見遊山がてらの買物も楽しんだ。
すると、最新の物事に敏感なジャーナリストたちも集まり始め、
新聞社、雑誌社、広告会社、印刷所等も多く居を構えたそう。
つまり、江戸商家並ぶ通りから、現在の銀座へと繋がる、
最先端のモノ・人が集まる華やかな地へと変貌したのがこの時期だった。
* * *
当時の写真を探してみたけれど、なかなか見つけられず・・・
タイムマシンに乗って訪ねる気分で、
実際にココへ行った感覚を味わってみたかった。
今の銀座だけではなく、「こんな時代があったのか!」と、
観る方々にも、面白がって、楽しんでもらえないかと――
自分なりに描く意義を感じて、チャレンジした
100年以上も前の、旧き良き銀座の姿。
残念ながら、「煉瓦街」の姿は、大正十二年(1923)の関東大震災でほぼ全滅し、
その後も、復興と戦禍、更なる復興と・・・
時代と災害の大波を受けても、その度に力強く発展しつつ、街は今も毅然と在り続ける。
日本と日本人の、不屈の底力への想いも込めながら。
笹倉 鉄平